経営学の感想で「かわいそう」と書かれたら驚く
ケーキ:福耳コラム
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127
から発展し、各ブログでトリアージ論の話が広がってますが、どうも論点が元のエントリからずれている意見が多いように思える。
今回の話は小学校の道徳の授業や倫理の授業ではなく、あくまで「経営学」の講義で、相手は経営学を受講している大学生だということを忘れてないでしょうか?
これが床屋談義なら話はわかるけど、経営学の講義で百貨店の話やトリアージの例を出して「かわいそう」という感想が来たら、普通は「この学生は何を聞いていたんだろう」と驚きませんか?
講義の中で自分が印象に残った「かわいそう」ということをどうしても書きたいなら、経営学に絡めた形での書き方にするのが大学生としてのマナーだと思う。
なぜ、一部の学生が「かわいそう」で思考停止したのかについては想像するしかないのだけど、おそらく百貨店についてもトリアージについても経営者や組織のリーダーとしての視点ではなく、従業員やトリアージを受ける側の視点で物事を考えていたからではないだろうか。
たとえば、経営学の文脈でトリアージが扱われた場合、学生に求められる視点は
- 自治体の首長や医療団体のリーダーだったら、トリアージというシステムを導入するか。
- 大規模災害の時には医療リソースはどのように配分するべきか。
- 医療リソースの量は、大規模災害の需要に合わせるべきか、平時の需要に合わせるべきか。
- トリアージが導入された場合、リーダーとしてどのように対応すべきか。
といったものではないでしょうか。自信ないけど。
その後の「追記」を見たところ、ほとんどの学生は「かわいそう」で思考を止めずにいたようだけど、だからこそ「かわいそう」で思考停止をしている学生を見ると歯がゆい思いになったのでは無いでしょうか。